パンの耳食べる方の裏方。

物書きの端くれの遊び場です。ゆるりとお付き合いください。

インパルス

 寺町通四条河原町から抜け、かに道楽を右に曲がる。三条通の交差点をこれまた右に曲がりしばらく歩いたところにあるのがインパルスという喫茶店である。

 

 入り口を正面に縦長に伸びた喫茶店で、手前がカウンター、奥が座席という形になっているが、手前のカウンターには埃と、マスターの読み散らかした、いつのだか分からなくなってしまった新聞とがあり、もう使われてはいない様子だった。

 

 座席とカウンターの間にはショーケース型の冷蔵庫がケーキやプリン、マスターが食べるためのアイスの箱を入れてガタガタ動いていた。奥の座席には四人席が三席並んでいるが、左手の壁際に長い革張りのソファに詰めて座りさえすれば、六人席にもなるであろう。背もたれのない足が一本の丸椅子がそれぞれ二席ずつその座席に置かれている。テーブルは陳腐なものでガタガタと揺れはするものの、文句を言う客は一人もいなかった。煙の臭いと、そういういい意味での汚れが好きな客しか集まらないからである。

 

 確かに最近の純喫茶ブームで大学生やカップルが入ってくることもあり、商売としては困ることはなかったが丸眼鏡を仏頂面にかけた老輩がそれを喜ぶことは決してなかった。

 ただ、憎みも恨みもしなかった。店主である彼にとってそんなことはさして問題ではない。客は客、ただそれだけだという至極当然ながらも博愛とも平等とも、またはそれの逆で蔑みともとれる態度を通していた。彼を語るのであれば、そんな詮索さえも意味がないものになってしまう程彼の中で客というのはただの、そういった対象でしかなかった。そんな彼が、今この店に客が二人しかおらず、その二人の声が店内に響き渡ろうとも決してきにすることは、あるはずがなかった。

 

 わざわざ寺町通を抜けてここまで来たのはこの二人の男子、三浜と幸谷のここまでの道順であり、幸谷の人の行動や言動から、心理や想いなどを分析するための観察(彼はいつもそうやって学術的に表現するが。)をするための道順でもあった。幸谷の幅の広い頬と少し内に入った顎に、薄い唇とふっくらと膨らむ丸い鼻はバランスが悪く学のない印象を与えるものであったが、長い髪と少し垂れた一重がそれをより象徴的にしていた。

 彼は特に人に会うときには必ず大きな古本を手元に持っていくのであるが、今日も例外ではなかった。彼の右手のすぐそばに、今日は星新一の傑作集であったが、しっかりと先日三条京阪駅の上のブックオフで買ったものが置かれていた。彼は確かに、間抜けや阿呆、馬鹿というったような罵倒に対してコンプレックスがあり、いかに自分が学術的であるかという点に関しては、抜かりないようにしていた点がある。しかし、それを真に見抜かれたくはないという恥ずかしさも抱えており、その葛藤が時にどちらに転ぶかで彼の一挙手一投足は決定されていた。外見的に学がなさそうであるのは確かにこの幸谷であったが、真に学がないのはその目の前、革張りのソファに足を組みながら煙草を吸う三浜のほうだった。

 彼は短く、ポマードで整えた髪を店内の光で照らしている。きれいな鼻筋と曲線美を描く二重、しゅっとした輪郭は知性を思わせ、品行と方正とを掛け合わせていた。


「お前はいつだって、古本を持っているけれど俺に何か言いたいことがあるのかい?」


「そういうわけじゃないさ、ただ本が近くにあると落ち着くんだ。」


「お前は俺に自分の学をひけらかしたいんじゃないのかい。この俺にさ。それなら過ぎた話だよ。俺はお前に学があるのは十分承知なんだからね。」


 三浜は随分と不貞腐れたような顔をした。舌に残ったアイスコーヒーの苦みを楽しみながら少しの言葉遊びとして幸谷をからかっただけで、ただの幼馴染としてのじゃれあいのつもりであったが幸谷はこれを挑戦的なものと受け取り、どうも胸の中で微動するイラだちがそっくりそのまま口から出てきてしまった。


「違うっていっているじゃないか!」


 そう自分の中のコンプレックスに背中を押されて放たれた言葉に「ごめん、大きな声を出しすぎた。」と訂正を加えたのをみて、三浜はまた彼をからかうように言った。


「それならお前。お前は古本のどこが好きで、それを買ったりして、持ち歩いているんだい。それをただ持ち歩くだけのアクセサリーとして扱うのであれば、俺の言ってることは正しいという事にはならないか。是非説明してくれたまえ!お前!」


「僕はね、君。僕はさ、この古本の特に前の持ち主が記入したであろう付箋であったり、マーカーであったり、書き込みであったりを特に好んで観察しているんだよ。」


「本の価値といえばその本に書かれている情報であったり、物語であったりするわけだがお前は違うというんだね。そこが古本にこだわる理由という事なんだね。でもそのお前の言う、付箋であったり、マーカーであったり、書き込みであったりを観察することでさ、お前。何が一体分かって、何がそんなに楽しいんだ。」


「君も知っての通り、僕は人の言動や行動がどんな意図があってどんな心理で働いたのかという一抹の疑問にたいして常に、そう常にだよ!研究しているんだが、これはそう、全うに学術的と言えるほどだ。その研究ができる対象を見つけることに興味し、歓喜し、楽しんでいるんだよ。それを見つけるために僕は生きているといっても過言ではないね。この複雑化された日本、いや世界でだよ?どうして単純に行動することができる?例えばね、君。このコーヒー1つだってそうさ。例えばこれがフェアトレードではなく何か搾取された結果ここに運ばれてきているとすればだよ。確かにそういう事例があったんだがね、君はそれを知ってこれを飲むことはするかい?僕は飲めるけども、おそらく飲めない人も多いだろうね。そうしたらどうだい、ここの店の売り上げは下がるだろう?下がるんだよ君。ここの主人がそういう事に無頓着なことは別にしてね。情報を知ったことでさ、客がここのコーヒーは飲まないという行動を起こしたのはとても興味深いじゃないか。とても善意的な行動だろう?でもどうだろう、もしこの店が売り上げ不振でそのコーヒーからフェアトレード商品に変えるとするよね?そうしたらどうなると思う?搾取されていたとしても少しの報酬が手に入っていた極貧農民たちは、その報酬さえもらえなくなって餓死してしまうのさ!それを知ったらここの客はどうするかな。善意的にコーヒーを飲まなくなった連中の事だからね、きっとフェアトレードでなくても飲むだろうね!飲むんだよ君!新たな情報が開示されればさっきまで正義を振りかざしてね、それも善意的にだよ。飲もうとしなかった連中は飲むのさ。そうしたら、搾取は進み現状はさ、連中が何も知らなかった時と同じ状況から変わることはないのさ。これはとても興味深いことだとは思わないかい、君!そうだろう!」


「確かにそれは興味深い。しかしね、お前。その知識をひけらかしているじゃないか。やはりお前は、その古本を持ち歩くための、いわゆる準備的なそれも用意周到な理由を持っている。だけどさ、お前はその知識をひけらかし、自分に学があるということ俺に、この学のない俺にだよ、知らしめているじゃないか。それはお前が、さっき、そうついっさきにさ、「本を持ち歩く理由は学をひけらかすためだ」という事に対しての否定の理由にはなっていないよ。お前。だって、本の話題がお前のその偉い知識をさ、ひけらかすことにつながったんだからね。古本を持つのは、学をひけらかすためだという事と同じことじゃないか。」


「いいかい君、では僕が、この本に見出した面白さを紹介することによってだね、君、そのふざけた屁理屈を論破して見せるからね。よく聞いておくんだよ君、ここ、ここをごらんよ君。これはぼっこちゃんという題のショートショートさ。ここに付箋が張ってあるのさ、汚い字だけどね、読めなくはない。『みんなが最後に死ぬところがよかった。』だなんて書いてあるんだ。君、これは実に興味深いじゃないか。誰がこの平和な日本で、しかも星新一なんかを読むような幻想好きにだよ、みんなが死ぬのが良いなんて言うんだろうね。この現実世界でそんなこと望むような人はこの京都で、しかもこの本をブックオフで売ろうなんて考える人でいるとは思えないだろ?でも、この話のなかでは、みんなが死ぬことを望んでいるんだ。現実では望まないのにだよ。何が違うんだろうね、現実の世界の人間と、話の中の人間とがさ、何が違うっていうんだい?同じ人間だのにね。すごく残虐だと思わないかい?しかもこの後の作品のところにだよ「面白かったが、長すぎてうざかった。」なんて書いてあるんだ。笑っちゃうじゃないか。この本は定価で四千円もするんだ。そんなのを買うのはファンくらいだろう?そんなファンが、称えるべき作者にうざいなんていうんだよ。そして売っちゃうんだ。律儀に感想を付箋で残しておくのにだよ。これはとても矛盾した行為と言えるんじゃないかな。人間性ともいえる。誰しも表と裏、矛盾を抱えているんだよ。それがこの古本から、本の情報以外に手に入ると考えたら、面白いじゃないか。これがぼくが古本を持つ理由だよ。それをいつでもこうやって思い出すことができるからね。」


「そうか、良くはわかったよお前の話は。じゃあどうだい、目の前にある全然進まない、甘さと苦さの矛盾、つまり君の言う人間性が詰まったアイスコーヒーを飲み干してくれないかな。そろそろ映画の時間だ。」


そういうと二人は数秒見つめあい、緊張の糸が途切れたように笑いあった。

 

三浜の声は特に大きく響いたが、引きつりながら「なんだよこれ。笑っちゃうよ。」としぜんと溢れた涙をぬぐった。「お前が始めたんだろ三浜。それにしてもお前、これだけ詭弁が言えたら大学通えるぞ、学びなおせよ。」と少し真面目な顔で幸谷が諭すように言ったが、三浜は首を横に振り「俺はそういうのは向いてないからさ」と笑った。


「陶芸家もすげえよ、お前がそういう職人の道に進むって聞いた時さ、誰より応援したいと思ったもん。同時にさ、俺も頑張らないとなって。」


「俺は、幸谷に影響されてそういう道を選んだんだけどね。」


「でも、さっきの人間性コーヒーは傑作だった!お前落語家にもなれるぞ。」


「うるせえ、俺は陶芸家になるって決めてるんだよ馬鹿。」


「お前、俺に向かってバカってやめろよ!」


 そんな二人の会話が、喫茶店を揺らしていても仏頂面のマスターは決して気にならなかった。彼は、幸谷の言う人間性という矛盾を、客に対しては一切持たないという点では、人間性から最もかけ離れているともいえよう。

 しかしこの時ばかりは、この仏頂面も「人間性たっぷりのコーヒー。」とぼそっと洩らした。彼が、その話をすっかりまねて書いた現代落語が新聞の賞になった時には彼らはお互いに、陶芸家と学者として大いに活躍していた。そんなふたりにかけてこの落語は「香味(幸谷の『こう』と三浜の『み』を無理やりとった。)のコーヒー」として聴衆に人気のものとなったのだが、幸谷はアメリカの大学で客員教授をしていたし、三浜はパリやヴェニス、またロンドンなどでジャパンエキスポや政府主体、または陶芸連盟主体の作品展示で忙しくしていたので全くその落語の存在すら知ることはなかった。

 

それでも二人は共通して、自分たちのようにくだらない話をインパルスでしている学生たちがいるんだろうなと漠然と思っていたし、それは現実として事実だったし、そういう学生が好む場所がこのインパルスという場所だった。